真心の財施・功徳費


真心を表す、功徳につながるお金

 私たちが得道する時に必ず功徳費(くどくひ)と呼ばれる財施をします。なぜこのような財施を必要とするのでしょうか。

 功徳費は私たちの真心を表わす一つのかたちです。天道の三宝という貴い宝、かつて聖人・修行者が難行苦行の後にしか得ることができなかった法を得るのですから、今得道しようとしている私にそれだけ真心があるか否かを示さなければなりません。それをお金というかたちで表わすのが功徳費です。そして、その徴収は暫定仏規という天道の規則に定められています。

 では、なぜお金によってそれを表わすのでしょうか。

 そもそもお金自体にその価値があるわけではありません。お金はそれを発行している政府の保証があるから流通し価値があるだけであり、もしもクーデターでもあってその政府が倒れれば、その瞬間からそのお金はただの紙切れ、金属片に変わってしまいます。金塊であっても同じです。決して死後の世界まで持っていくこともできないし、確実に価値が保証されたものでもありません。 

 お金とは、人がどのようにそれを用いるかによって価値が生じる修行のための道具に過ぎません。良いことに使えば功徳という普遍の財へと姿を変え、死後の世界へと持って行くことができるし、子孫にもその恩恵をもたらすことができます。しかし欲を出して悪いことに使ったり、悪い行ないにて得たものは罪というマイナスの財と変わってその借金の返済に追われ、業の清算という形で死後にも子孫にも影響してきます。

 得道のときに出す功徳費は、今世、過去世の借金を返し、因縁解脱の道を得るための最も良いお金の使い方であり、功徳へと繋がるものです。ですから功徳費は人それぞれの真心として出すものであり、金額の定めはありません。しかしどうしても金額を提示しなければならない場合や、大勢の得道式において金額を一律にしなければならない場合は、そのときの時勢に合った金額にすることが大切であり、また決して相手に無理な金額を強要してはいけません。

 同様に、護摩木や符を書くために使われるお金も功徳費の一つであり、それによって救われる霊の冥加金、すなわち霊の命乞いのお金であると言われます。それは財施であると同時に、霊を供養し救おうという思いも入り、供養施ともなります。
 ただ書いたとか、ただお金を出したというだけでも大きな供養へと繋がりますが、救いたい、供養したいという真心がそこに込められれば、さらに大きな功徳へと繋がり、救われる霊も増えるのです。

 ちなみに、頂いた功徳費の用途ですが、御聖訓や研参資料を印刷するなど、広く人霊を救うための活動や道内のさまざまな善いこと、必要なことに使われます。功徳費の納入は道親からいただくものですが、それはまた道内にかえされます。

 およそ得道する人はほとんど自分から願い出たもので、決して強制されることはございません。しかも功徳費を受け取って収めることは、規定にもとづくものであり、紹介人・保証人は得道させる前に必ず誓願を立てなければなりません。「もしも人の財物金銭をあざむきだますことがあれば、自ら天譴(天罰)を受けます」と。

 得道する人は善縁の深い人なので、ウソかホントか判断が出来るはずですし、財物をだましとることは出来るはずもなく、公金を乱用することも決して出来るものではございません。天壇の前で自ら誓願を立て、見えないところではご神仏の監察があります。疑われないからといって、恐れないことはないのです。

 天道の規定されている費用は、得道するときに功徳費を納めるだけです。ただ各地の拠点で使用する費用に関してはおのおの自発的に運営しています。これも納得の上でのことであり、強制ではございません。

 つまり財力のある人は力に応じて財施を行い、善い行いをし、財が無い人は特に善行につとめ、道を説ききかせて法施(ほうせ)を行い、多くの人達を道に導けば良いのです。財施・法施の他に、無畏施(むいせ)があります。他を助け、真心をもって奉仕し、拠点や聖院のお掃除や、護摩木の半押し、行事などのスタッフなど、様々な無畏の布施を行うこともまた大きな功徳となり、因縁解消となります。

 この三施の他、先ほどもお話しましたが、霊に対する施し(道具や供養など)である供養施や、立命施(りつめいせ)あるいは未来施(みらいせ)と言って、徳積みと因縁解消の場を他の人に施して未来を開かせる事。これもとても大きな功徳となります。これらの5つの施しを五施(ごせ)と言い、天道を歩む私たちにとってとても必要な心がけ、精神となります。

⇒【御聖訓】不動明王「五施の大事」