路中一祖


東土第十七代祖 白陽初祖 天盤統掌 弥勒古仏化身 

1848年嘉永元年(前清道光28年)4月24日 山東省濟寧生まれ

姓は路、名は中一、号は通理子。山東省済寧州の人(西暦1849年)癸丑4月24日生まれ。30歳の時、3月15日天命拝受。白陽一万八百年の天盤を拝命する。

自號 無線痴人

1925年 大正14年(民国14年)2月2日御帰天

享年76歳

弥勒古仏は白陽期10800年の天盤を統掌。


 道は、王祖・劉祖の時代にようやく暗黒の時代を脱し、普渡収円に向けて歩み出す。そして時代は紅陽期(紀元前一千年<周王朝建国>から、十九世紀<清王朝の没落>までの約三千年)を終え、白陽期へと向かう。

 劉家が名門であったためか比較的裕福な徒が多く集まる中に、ある日、劉祖のもとにボロをまとった一人の一風変わった男が現れた。それが路祖(弥勒祖師)である。 路祖は1849年4月24日(旧暦)に中国の山東省済寧州に生まれた。姓は路、名は中一、号は通理子という。

 幼少の時に父母を亡くし、人里離れたあばらやで妹一人を養いながら極貧生活を送ってきた。
 22歳の時、生活のために軍隊に入り、妹を残して河北省天津市に赴任し、三年後には教官となり、昇進は順調だったが、人々の苦しみや軍人であることの虚しさを嘆きながら教典教書に親しみ、自らのあるべき姿を求め続けられていた。

 37歳になったある日、不思議な夢を見た。その夢とはラウム様がたくさんの神仏を率いて現れ、「軍隊を去り、すぐさま青州の劉祖のもとへ行き、真法を得るべし。決して疑ってはならぬ」とことづけられたのである。二晩同じ夢を見た路祖は、尚も半信半疑で、朝になって顔を洗い、大地にひざまずいて上天に向かい、「もしこれが正夢でしたら、重ねてもう一晩現れてお示しください」と祈られた。
 はたして三晩目にもラウム様が夢の中に出られ、さらに厳しいお言葉でうながされたので、路祖はすぐさま軍隊を辞め、青州へ向かった。

 当時、土地の富豪であった劉祖のもとには比較的裕福な人たちが門人として訪れ、にぎわっていた。ある日、門前に、頭に大きな帽子をかぶり、破れた軍服の上着をはおって行李を背負っている浅黒い顔の男が長い間、立ち尽くしていた。路祖だった。

 不思議に思った劉祖が、「あなたは門前でいったい誰を待っているのか」と声をかけた。路祖は「ここに道ありと聞き、求めに来ました」と答えた。劉祖は微笑んで、「道を求めるのであれば中にお入りなさい」と、その素性の分からない汚い身なりの男を寛容にも屋敷の中に迎え入れられたのだ。

 「なぜ軍人でありながら道を求めるのか」と問う劉祖に、路祖は夢の話など一部始終を告げた。劉祖は、わずかな時間で路祖に非凡なものを感じられ、さらに路祖の真心を試すため、「法を求めるには功徳費を献じなければいけないことを知っているのか」と問うと、路祖はためらうことなく行李の中から手持ちの金を全て取り出して、功徳費と屋敷に寝泊りする費用として全額を差し出したのである。

 劉祖は、路祖のその誠実な態度と優れた天性を悟り、路祖を屋敷の下働きとして迎え入れた。それは裕福な家柄の者が多かった他の門人たちから路祖を護るためでもあった。そのまま客人や門人として扱えば、他の者の妬みや謗りを受けることは目に見えていたからである。
 路祖は台所の横にある小さな部屋に住み、掃除や水汲みなどの下座行を黙々とこなされながら、道を熱心に学んだ。

 3年が過ぎると、劉祖は路祖に得道させ、路祖の故郷の済寧へ伝道のために派遣して、指示があるまでそばに仕えることを許さなかった。済寧に帰られた路祖は嫁いだ妹のところに身を寄せ、天壇を開設して忠実に道を伝える。この地には高い丘があり、通称三山坡と呼ばれていた。
 伝道ははじめは困難を極めたが、ある日、地の天縁の深さに気付いた路祖は突如として天份を開花させ、大器に磨きをかけて雄弁になり説法の説得力を増した。得道した者は皆、路祖のもとから離れることはなかった。

 病にかかった劉祖は自らの帰天の時が近づいていることを悟り、道統の天命の後継者を誰にすべきか悩んでいた。その時、御聖訓においてラウムさまより秘かに「道盤を掌(てのひら)の中に合同と印されている人に授けるべし」との訓示があった。劉祖は、旧暦の3月15日、大典の日に、弟子たちに手と顔を綺麗に洗って壇前に集まるように伝えた。その知らせは故郷の山東省済寧州へと命を受けて伝道に来ていた路祖のもとにも届いた。そして路祖は急いで劉祖の居る青州へと向った。

 劉祖は壇前に集った百余名におよぶ弟子たち一人一人に線香を手渡し、掌を見て行かれた。しかし、該当する者はいなかった。半ばあきらめていたところ、遠方より駆けつけ最後に入って来た路祖の掌の中、左に「合」、右の「同」の字が明らかに映し出されているのを見つけた。驚いた劉祖は、道統の天命の継承者に路祖を指名し、日付の変わる子(ね)の刻に天壇の前において天命を継承させた。これにより東土第十七代祖であり、白陽初代祖たる路祖が誕生したのである。
 しかし、その数日の後、劉祖がご帰天すると、幾名かの道の領袖たちより不満の声が上がった。そこで御聖訓を仰いでその真偽を確かめることとなった。御聖訓には路祖の風貌にいたるまで事細かに示され、弥勒の転生であることをはじめて明かされた。そこで皆、路祖を天盤、道盤を執掌する祖として迎え入れられたのである。

 道統の天命を継承された路祖は、故郷である山東省済寧州を天道の根拠地と定め、さらに伝道に励まれた。路祖は生涯独身を通されたので、その生活と伝道においては妹君の負う所が大であった。実は妹君は、観音菩薩の生まれ変わりであった。観音菩薩は、天盤である弥勒仏を補佐される副天盤であり、妹君は、まさに路祖を補佐され道の宣揚に貢献されたのだ。

金鶏三唱

 弥勒菩薩さまの転生である路中一祖は、金剛路祖とも呼ばれ、弥勒菩薩が三度目に転生したお姿である。弥勒菩薩は弥勒金鶏とも称され、三度人に転生して道を唱え、末劫の到来を警告し、救いの法を示すと言われている。これを金鶏三唱(きんけいさんしょう)といわれる。
 一度目に転生したのはマイトレーヤ(慈氏)であり、南インドのバラモンの家に生まれ、釈迦の弟子となり、釈迦の仏位を継ぐ補処の菩薩となって、釈迦に先立って入滅し、兜率天の内院で法を説かれ、五十六億七千万年を経て人間に下生し、末世を救うと言われている。
 二度目の転生は、釈契此(しゃくかいし)、すなわち布袋和尚である。
 そして三度目が路中一祖である。そして金鶏とは白陽時代を象徴する言葉である。すなわち金は五行の一つであり、西方に位し、西方は庚(かのえ)辛(かのと)金で、鶏とは酉のことであり、酉は十二時の一つであり、午後五時から七時までの夕刻を現わす。すなわち金鶏とは、西方の象徴であり、西方は金に属し、色は白なので、陽が西へ傾く時、「白陽の時代」を現わす言葉である。白陽の到来を告げる弥勒金鶏こそが路中一祖である。

 路祖は道統の天命を継承して後、二十五年間、道の宣揚に努められ、一九二五年、乙丑年二月二日、道統の天命を弓長祖へと継承し、七十六歳で帰天された。
 路祖は弥勒の化身であったが、道に出会い、悟りを得たのも四十歳の直前あり、それまでは普通の人だった。しかし道に目覚めるとその霊性は瞬く間に開花し、その徳份は多くの人を感化した。

【出典・参考】 旧 天道道義 五九頁から六二頁